敏感でそして繊細
私は鈍感か繊細かと言われたら、面倒くさいほどに繊細な方だと思う。
いや、可愛い子ぶりたいわけではなく、20数年生きてきて客観的に自分をみたらそう思うのだ。
人と長くいると疲れるし、すぐ傷つくし、できればもっと鈍く痛みを感じず人と交流できる人になりたかった。
でもそれは私の個性なのだ。もう割りきるしかないのだ。
いーじゃん、傷つきやすくたって、扱いにくたって。馬鹿にされてたまるか。
私は私なのだ。
すごいタイトルの漫画
最近ある漫画を読んでとても面白いと思った。
その漫画のタイトルはすごい。
「一度セックスするまで死ねない!」
…ちょっと書くのが恥ずかしいね(笑)
作者は深海魚さん。
簡単に紹介すると、処女のヒロインが一度セックスするべく奮闘する話。
ヒロインはちょっと不思議なところもあるけれども、真面目で素直ですごく可愛い。ちょっと、いやかなり手練れなヒーローは顔も中身もイケメンでかっこいい。
ズレてるようで、実は王道な少女漫画。
2巻で終わりなのが切ないけど、潔いのがまた良い気がする。
ほんとに面白かった~!でも人には勧めにくいタイトルだな(笑)
勝利と調和
私は勝ち負けという概念が好きじゃない。
なぜなら、勝ち負けという概念があることで、
人には優劣があるという証明になってしまうからである。
だから、勝ったか負けたという、要は結果ははっきり言ってどうでもいい。
勝ち負けよりも、その途中で努力したかという過程が大事だと思っている。
ただそうはいっても、勝ち負けという概念はいろいろなところにある。特にスポーツの世界では。
スポーツで人は成長できると信じる人は多数いる。きっとその人自身もスポーツを行うことにより、幾多なる経験を積んできたという自負があるに違いない。
そんなこともあってか、世の中には勝ち負けにこだわる人が思うよりもいる。
否定はしない。でも肯定もしない。
運動神経が全くないといっても過言じゃない私は、過去に運動ができない=劣っているという見方(好きでスポーツができないわけじゃないんだよ)を他人からされたことが何度かある。
いや、自慢みたいになるかもしれないけど、球技以外はまぁまぁはできたんですよ。
だがしかし、球技がほんとできん。球怖い。
とにもかくにも、そういうトラウマ?があるから
勝ち負けにこだわる勝利主義という考え方にはならなかったのだと思う。
そう、私は調和主義である。
(かっこよく言えば。)
争いのないアートや、音楽、ダンスといった芸術活動にこそ悦びを感じる。という事実。
人に優劣なんてのはなくて、お互いが足りないところを補えばいいじゃないか。完璧を目指さなくたっていいじゃないか。そういう考え方をする。
でも今、どちらかと言えば勝利主義の人が多い環境ではたらいている。
人を性格ではなく、能力重視で見る。
はっきり言って辛い。合わない。
まじしんどいぜ。
そもそも私みたいなのは、マイノリティなのかもしれない。
でも自分に合う環境ばかりじゃ成長できないのはわかる。人間の多様性を学ぶ機会だと思うようにしている。勝利主義の人の考え方も理解できたらと思う。
私は私の正義、あの人はあの人の正義があるのだから。
人間は多面体の生き物である。
誰かの名言である。(確か)
その言葉を胸に人間関係で頭を抱えて、また生きていくのだよーん。
昔とそして今
以前に比べて創作意欲が減った。
年と共に減ってきてしまった。
以前は頭の中で妄想してそれを絵として紙に落としたり、絵の具を用意して、胸を踊らせてずっと何かしら描いていた。描くのが楽しくて楽しくてしょうがなかった。誰よりも絵が上手くなりたいとも思っていた。
そのおかげで、私より上手い人は五万といるのは承知の上で、一応ではあるが仕事にどうにかできるレベルの絵を描く技術はついたのかなと思う。
ただ薄々気づいてはいたが、高校大学に上がるにつれ私はアーティストタイプではないと、完全に自覚するようになった。
こつこつやる作業が苦手な上に、自分から何かを表現したいと思うことがあまりない。
私の前に描く被写体があり、依頼され報酬(お金や何かしらの言葉などでも)がないと描くという行為ははっきり言ってできない。
とはいいつつもたまに描きたくなり、ちょこちょこは描いていたが、最近はもうめっきりない。
仕事で描かなくてはというとき、かろうじて描くかなという感じ。
描けなくなったのは便利すぎるインターネットのせい?
それは全くないとは言えないし、控えるようにしなくてはと思うけど、前はネットがあっても描きたいと思ってたしな。
創作意欲をまだ感じ、自発的に物作りをしている友達もいるのに、私はこれでいいのだろうかと焦りを感じた。
それなりに大事にしていた感受性が、退化しているのではないかと思ったりもした。
むしろ最近はギターやってみたいとか思っている。
きっと好きな人ができたりしたら、その人を描きたくなるなどまた多少創作意欲も湧くかもしれないし、腕が落ちるのはちょっと心配だけど、無理に気持ちに抗おうとしても、ますます描きたくなくなるから、このまま流れに身を任せようかな…ともはや考えている。
まぁ、作ることだけが芸術じゃないし、作らせるのも芸術だよなと。
でも、作っている姿を見せるのも大事なんだよなと。
堂々巡りなのだ。
愛しのビリー
お分かりだろうが、私はグリーンデイが好きである。
フロントマンのビリー・ジョー・アームストロングは死ぬほどクールガイだと思っている。
一見、グリーンデイはパンクバンドということもあり、ハチャメチャやっているように見えるが、もちろんハチャメチャもやっているが、ビリーはライヴ以外はけっこう大人しいらしいし、愛妻家で子供好きの普通なお父さんでもある。
ライヴ中では、観客席にいる子どもをステージに上がらせて、一緒に演奏するというファンサービスもいとわない。
音楽に関しては、政治的批判の歌詞も多くやっぱりパンクなんだけど、音が王道ロックでビートに乗れて心地よいところが好きだ。
好きな曲はたくさんあるが、マイノリティは音も歌詞も元気が貰える。少数派でいいじゃないか!という熱いメッセージが大好きだ。
そして私とビリーは同じ誕生日ということを最近知り、なんだか運命感じちゃうのである。
女の中の女
タイトルの通り、今、女の中の女タイプが多い集団にいる。具体的にはというと、大人の事情で書けないがつまりはそういうことなのである。
腹の中で抱えて、裏でグチグチいっとるんだなぁというのが笑顔の後ろから感じとれるのが、モヤモヤしますよね。鬱になる気持ちもわからんでもない。
私はわりと気づきやすく、空気に抗えないタイプなので、こうゆう環境はほんと苦手だ。いや得意な人はいないのかもしれないが、とにかく気疲れMAX。
これを言うと波紋を呼ぶかもだが、男の集団の方がアホみたいな会話で楽なこと多いよなぁ。(もちろん、女の子でもねちっとしてない子たくさんいますよ。)
男女差別とかではないし、男女平等が望ましいと思うけど、でもまぁ事実だし…。
あんまり気にしないタイプってこうゆうとき羨ましい。気にしない人は空気を変える力があるんだよなぁ。
さっぱりと細かいことあんま気にせずみんな楽しくいきたいなぁと思うけど、人の価値観は人それぞれ。
はーあ、難しいったらありゃしない。